諸塚の神楽

【お知らせ】2021.1/5
2021年の夜神楽は、戸下神楽・南川神楽ともに中止となりました。
楽しみにしておられた皆様には申し訳ありません。
また来年以降の開催をお楽しみに!

諸塚神楽の特徴

諸塚神楽は、宮崎県北部エリアの神楽の中でも異色で、その大きな特徴は他に類のない200体を越す神楽面が残ることにあります。大きく分けて3つの流派(桂・戸下・南川)があり、各集落の住民の献身的な努力の上に今日まで伝承されています。

神楽の夜は「脇宿(わきやど)」が開かれたり、セリ歌で盛り上がったりと神と人がともに舞い遊ぶ特別な一夜となります。

 

~ご参拝いただく方へのお願い~
諸塚の神楽は、各集落の住民の献身的な努力の上に今日まで伝承されている神事です。そこに参加させてもらうという気持ちでご参拝いただきますようお願いします。地元では、お供えとして焼酎(2升程度)かそれに相当する現金を持参する習わしになっています。

 

●書籍『諸塚神楽と人々の暮らし 百彩の森から』出版
文:高見乾司 写真:狩集武志 鉱脈社刊
>> オンラインショップ「もろつかストア」にて販売中

●諸塚神楽の紹介パンフレットをWEBから見ることができます。
>> もろつかebooks

 

国選択無形民俗文化財(平成5年11月26日指定)
宮崎県重要無形民俗文化財(平成3年11月1日指定)

集落ごとの神楽

戸下神楽(としたかぐら)

宮崎県諸塚村荒谷(あらだに)地区にある戸下(とした)集落にて行われる神楽で、現在は集落の9戸を中心に継承されています。

戸下集落の鎮守、白鳥神社(しらとりじんじゃ)の春季例大祭に併せて毎年夜神楽が奉納されており、集落にある公民館には屋外に張り出す形で神高屋(みこや)が建てられ、お昼から翌日の朝まで真冬の寒い中舞が続きます。
毎年奉納されるのは「普通神楽(ふつうかぐら)」と呼ばれ三十三番ですが、集落の大願成就の年などに行われる「大神楽(おおかぐら)」では三十三番がさらに細かく分かれた五十番と大神楽でしか行われない「山守(やまもり)」を合わせた神楽五十一番が奉納されます。

大神楽の最初に舞われる山守は、日本でただひとつ、戸下神楽にしか残っていない貴重な番付。かずらを巻いて実際に山から下りてくる山の神に、神楽を舞わせてほしいと神主が説得を試みるお話で、なかなか納得しない山の神と説得をつづける神主を見守る重要な番。この番付を見るために、全国から多くの観客とカメラマンがやってきます。

平成27年(2015)には、言い句、禰宜歌(ねぎうた)、唱経(しょうぎょう)を記した本を戸下神楽保存会が発行。神楽の伝承に努めています。
※戸下神楽会場(神楽の日のみ)、しいたけの館21(通年)にて販売中

戸下集落に隣接する南川地区では南川神楽が継承されており、戸下神楽とは同流派といわれています。
戸下神楽には南川神楽の、南川神楽では戸下神楽の舞手が顔を出し、にぎやかな一夜となります。
諸塚の方言でいうと、かてゃりもどし。
「うちのお祭りにきてもらったから、お返しにそちらのお祭りに遊びにきました」
何かをしてもらったら、きちんと返す。諸塚村の相互の助け合いの気持ちも一緒に伝わっている伝統行事です。

かてゃり=混ぜる、交ざる

毎年1月最終土曜日開催

南川神楽(みなみがわかぐら)

南川地区の5つの集落持ち回りで毎年実施されているのが南川神楽。
民家やセンターの庭に神高屋(みこや)が設けられ、受け持ちの集落の神社に奉納する形で夜通し行われます。

南川神楽の特徴は、荒神。昔からの地神様で、「七荒神八稲荷」といわれています。
「三宝荒神」の番付では、三柱の荒神様がそれぞれに神主と問答をします。神主は荒神様に無断で神楽を始めたことを詫びつつ説得しますが、荒神様は怒りを露わにして抵抗し、周囲の観客もそれに賛同し、囃し立てます。見どころの多い夜神楽の中でも、特に人気が高い番付です。

若い世代が多い地区で、舞手となるほしゃこ(奉仕者)が多く、戸下神楽のほしゃこも「かてゃりもどし」にやってきて賑わいます。

毎年、2月の第1土曜日開催

桂神楽(かつらかぐら)

江戸末期、神官宅の火災でそれまで伝えられていた記録が消失してしまったため、口伝とそれを筆写したわずかな記録しか残っていません。
元々は、立岩地区の桂集落にある桂正八幡神社に奉納されていた神楽で、この神社は南北朝時代に関東かつらぎの国から勧請されたと伝えられています。

諸塚に残る他の二つの神楽とは趣を異にしていて、椎葉村や高千穂町の神楽と同じ系統といわれています。
特徴は、ゆっくりとしたリズムの勇壮な舞。

遷宮や集落の大事、お日待ちの願成就などで奉納される大神楽のみが夜神楽となり、通常は春秋の例大祭で昼神楽として三番のみが奉納されます。

不定期開催

諸塚神楽の歴史的背景

 神楽の語源は、「神座(かみくら)」から転じた説が一般的ですが、神楽の記述の最古は、高千穂神社の「十社大明神記」(1189)で、そのころの高千穂地方(現在の西臼杵郡および諸塚村、熊本県蘇陽町の一部)には、すでに存在していたようです。

 神楽は、もともと社寺が保持し、修験者たちが担っていましたが、幕末から明治初期にかけて、時代の変化と共に社寺の影響力の衰退と修験道の廃止とともに民間に流布し、住民主体に変化していったものと考えられます。

 庶民に普及するにつれ、本来の宗教的修験道的な色合いが薄れ、庶民の文化を支える農林漁業と密接に関連するようになります。分類すると、その地域の文化によって山岳神楽と農耕神楽、漁師神楽とに大きく特徴づけられます。また冬の夜神楽の形態は、春の昼神楽と違って宮崎県では県北部の山間部にしかありません。

 宮崎県北部の夜神楽で国の重要文化財に指定されているのは、高千穂と椎葉、米良の3つです。

 高千穂地方とは、もともとは阿蘇山と祖母山までの中間の区域のことをいい、江戸末期には現在の諸塚村を含む高千穂、日之影、五ヶ瀬の4町村にあった旧18村のことを言ったようです。これらの地域は、その神社が鎌倉期に熊野神社に寄進されたこともあって、地域信仰に熊野信仰が色濃く反映され、諸塚山や二上山では山岳修験者信仰が盛んに行なわれたようです。その過程で神楽が伝承され、県北部に限定して夜神楽が伝わっているものとされています。先ほども記述した最も古い神楽の記録があることからも、それが証明されます。

 特に高千穂神楽の特徴のひとつは、仏教や修験道の影響を排し、天孫降臨の記紀神話を強く出しているところです。吉田神道の影響を受けた神道化が顕著で、岩戸を中心にしたいわゆる「出雲流」です。椎葉神楽が、神道化の影響が薄く、狩猟文化の影響を色濃く残しているのと対照的です。

 諸塚神楽は、同じ高千穂地方の中でも異色で、その大きな特徴は他に類のない200体を越す神楽面が残っていることです。神楽のはじめに行う「舞入れ」では、神面が一同に並んで道神楽が舞われますが、他の神楽では見られない圧倒的に壮観な舞です。これは、明らかに修験道神楽のなごりです。

 一部神道化も見られますが、この原始神楽の原形を残す多くの面と壮観な舞い入れが諸塚神楽の大きな特徴です。